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権利と福祉

ある社会では「奴隷」というものがまだあると想定してみよう。
どこか、地球とは異なる星などを想像してみるのが良い。

1)奴隷にも我々(異星人、見かけ上その星を支配しているようだ)と同じ「権利」がある

・・・1)であるならば、既に奴隷制度そのものが否定されていることとなり、直ちに奴隷制度は廃されなくてはならない。

2)奴隷は奴隷として制度を設けるが「福祉」を向上させる

・・・2)は、1)が認められなくても実現できることである。

自分が奴隷の立場に立ってみたとき、1)を望むのは当然のことであろう。
しかし、いつまでたっても1)は実現しないかもしれない。
1)を叫んだ人(異星人の中の一部?)の声がかき消されてしまうこともあるだろう。

それであれば、奴隷としての私は2)を望むかもしれない。現実的な苦痛を避けるためにだ。

ただ私がどちらを望んでいるかは、声に出しても理解してもらえないかもしれない。
檻の向こうの異星人たちが、試みに私の意を知ろうと二つのパネルを出したとしても、そのどちらが1)2)を意味するかが伝わらないかもしれない。




ある対象(たとえば捕まってしまった地球人)に我々(その星を見かけ上支配している者)と同等の権利を認めたからといって、その対象を手厚く保護するとか言うことには勿論ならない。

移行措置として、差別を避けるために保護的な立場でかくまうことも必要であろうが、それはあくまで移行措置である。

我々同士と同じように、気に入らなければ悪口を言ったり、時には激しく罵り合うようなこともある。
こういっては何だが、(後に罰せられるとしても)危害を加えあうことも(物理的に完全には)防ぎきれない。




逆に奴隷システムを認めて福祉を向上させる立場に立った場合、その社会においてはある程度奴隷の実質的生活の質がよくなるかもしれない。

ただ、もともと権利を認めていないんであれば、そうした福祉はあくまで我々(異星人、その星の見かけの支配者)のさじ加減一つであるわけで、いつ打ち切られてもおかしくない、ということにもなる。

また、その福祉の質(高低というより方向性)が適切であるかどうかも、彼らの声を聞かない以上、我々には結局判断できないことになる。「彼らの声を聞くには聞くが、奴隷制度そのものの廃止は行わない」この一線を譲らない前提で議論を持ちかけたとしたら、彼ら(檻の中の地球人など)はなんと言うだろうか。




非常に中途半端な投げかけに終わったが、

僕自身、このブログで動物の福祉というタグなどをつけているものの、
アニマルライツ(福祉ならウェルフェアである)という言葉も同時に使っている。

この辺は特に計算があるとかではなく、両方置いてみている。

いずれとしても、福祉と権利の違いについて考えてみるのは面白いと思う。
また今回取り上げたのは或るケースにおいてであり、二つの言葉はまた違う意味でも使われるだろう。

現実的路線と理想論は両方あるべきである(一人の人間のうちにも)と考える自分であるが、
実はその二つは両立しないケースもあることがわかる。




あくまで「考えを巡らせるならば」ということであり、
社会的に穏便とされる範囲なら「感じたこと」に基づいて行動するのでも勿論かまわないと思う。

人生、さして時間はないからだ。
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現在は休止中ですが電動RCが趣味。動物問題への関心を高めています。Twitter、Youtubeもあります。ブログはこちらFC2がメインです。

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