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1994年のF3000を思い起こして

これもまたレアなレースがUPされている。

1994年、十勝で行われたF3000ノンタイトル戦である。
本格的にレースを追い始めて後、初めてのノンタイトル戦であった。

http://www.youtube.com/watch?v=8EoWtvgC5g8

これについてはさておくとして、
1994年というのは、F3000ファンにとってはどこか寂しい1年という側面もあったのではないだろうか。

もちろん、童夢(アピチェラ)のタイトル獲得、終盤での高木デビュー(中野や影山弟もデビューした)等、
エポックな点も今考えればあるわけだし、後半には国さんが3位をGETするなど、
シリーズ自体は見所もあり、星野やチーバー、黒澤の頑張り等もあって引き締まっていたのだが、
如何せん台数的に物足りないものがあった。

JTCCの開幕、JGTCの本格的始動の一年でもあり、
個人的にJTCCにはワクワクしたが、
トップフォーミュラたるF3000の台数が激減し、グループCは本当に世界のレースから消えていくのを実感する93→94であった。
Gr.Aの32なども見ることが出来なくなった。つまり時代の流れとして、速い車が消えていくことが実感されたのだ。



1994、F3000のエントリーを思い起こすと、アーバインがF1へと巣立ったの喜ぶべきこととしても、
まず、強力な2カー体制を堅持してきたNOVAがマルティーニの1台。
(後半には二台目に山田英二、中野、飯田も乗っている)

さらにムーンクラフトが消えている。
94年は、ローラ用のサイド部分MCSカウルのみをリリースしていたと記憶している。
また、93年結構速かったトムス(レイナードDFV)も一年で撤退している。
ステラは、ラッツェン+スコットの体制から、スコット一人へと縮小。
このほか、和田久や石川朗の所属していたCAPCOMチームなどもひっそりと姿を消している。



和田孝夫選手、関谷正徳選手も特に引退を表明するでもなく、93年でF3000から降りた。
関谷選手は、1993年もかなり乗れていただけに、もうひとっ走り見せてほしかった気もする。



また、僕としては利男選手が中途でシートを失った年としてやはりどこか空白のようになっている。
・・・結局はそれに尽きる面もあるが・・・
翌年「いいこと」があったとはいえ、このときはもう、それはそれは寂しかったのだ。
(序盤の富士のレースではかなりいい走りをしていたと記憶している)



また、中谷の不振も惜しいところである。1994年、中谷はスピードスターに移籍、
どことなく似合わないようなその組み合わせに、何となく期待が高まった。
(僕はこのような、いかにも日本っぽいカラーやティーム名などがすきなのだ)
しかし何がどう悪かったのか、全くいいところなしに終わり、以後F3000やFNに乗ることはなかった。
この結果、シーズン途中からクロスノフが再度SSRのシートを獲得している。
翌95年早々には震災があり、ダンロップのトップフォーミュラでの活躍は、1994年が最後となった。
(この年の中谷のマシンが三和プロポのCMに使われていたのは、懐かしい)



ノンタイトル戦を見ても星野の力強い走りは変わらないと感じさせる。
この1994年でロス・チーバーは長年本当によく戦った日本を ─結局はタイトルを獲れないままに─ 去り、
(それだからといってもチーバーが大変素晴らしかったことに変わりはない)
翌年はDL撤退の絡みもあってアピチェラの体制もややダウンする。
しかし1995年は高木の本格参戦で様相が一変する。

調べてみれば、前年度最終戦の参加26台から→開幕18台と1994年はやっぱりある面で寂しいレースでもあったわけだけども、
一つ一つのレースやエピソードを思い起こしてみると、やはりどれも、思いのほかにしっかり心に刻まれている。
このノンタイトル戦においてもスポット参戦古谷の頑張りは、F3などとオーバーラップさせればなお、胸が熱くなる。









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現在は休止中ですが電動RCが趣味。動物問題への関心を高めています。Twitter、Youtubeもあります。ブログはこちらFC2がメインです。

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