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「動物を利用しないようにする」は、人間だけの問題かもしれない

動物問題について声を上げていると良く投げかけられる疑問が、

他の動物も、他の動物を補食したりしているではないか、という話。
それ故に、人間も他の動物を食べて良いのではないか?というような話だ。

ところが、人間は動物を食さないでも行きていける。
これは多くの事例で既に明らかになっているわけだし、何なら自分で試しても良い。
(2015 8/19追記 そういう人が多いのが明らかなだけで、
勿論体質的に無理な人もいるだろう。但しその場合でもなお、一定の制限はできるだろう)

ただ、人間が動物性のものを食べずに生きていけるというのは、多少偶然であると思う。
犬やイルカなどから進化していたとしたらば、そうは行かなかったのかもしれない。

痛みを感じうるものに、あえて痛みを感じさせるのは、良くないことであろう。
食べずに生きていけるのならば、食べないほうが良いということになる。

痛み・苦しみを感じうると推測できるものに、みだりと痛み・苦しみを与えない。

要するに、ただそれだけの話なんである。
他の人間に対してと同じである。正当防衛の結果殴るとかいうことは許容されるかもしれないが、
みだりと、他人に暴力を振るったりしてはいけない。

言ってみれば、ヴィーガニズム(動物を利用しない、なるべく利用しない)は、
人間にしか実行できないことでもある。
あるいは、人間しか、そういう心持ちを持つ必要がない。

他の動物は、他の動物を「利用しない」ようには行動できないか、
あるいは「利用」といえるほどのことをしていないのだ。

「動物を利用しないようにした方がいい」は、シンプルだが強力なテーゼである。
ただ、様々の角度から考えても、その結論になる場合が多いと思う。

しかし、それを一体どこまで徹底できるか、という問題が出てくる。
虫はどうするのか、魚の稚魚だとかそういうものは、傷つけないように出来るのだろうか、などと。

ここでありがちなのが、「徹底できないから→考えなくて良い」という<ワープ>である。
これは良くない。

僕の思うアニマル・ライツは、その完全な実行にこそ困難が伴うが、シンプルな考えなのである。

話は飛ぶが、人間同士における「平和」は作り上げるものである、と考える。
「最初からある平和」が崩れている!と考えると悲嘆するしかないが、
平和は、全世界的に見れば何ら達成されておらず、これから作るのだと考えれば前向きになれる。

人と他種とのかかわり合いも、それは一体どうすればよいのか、
実行(たとえば、あまり肉を食べないとか、毛皮を買わないとか)をしながら、
何世代もかけて取り組んでいく問題なのだと思う。

もちろん早期にも解決できそうな問題は有るわけで、
「どれもこれも時間がかかるから」とあきらめ気味になるのも、よろしくないだろう。
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No title

>ところが、人間は動物を食さないでも行きていける。
>これは多くの事例で既に明らかになっているわけだし、何なら自分で試しても良い。


自身で試して、私は駄目でしたね。
どんどん筋肉が削げ落ち、常に背中に痛みがあって、風邪を引き続けて4ヶ月で諦めた。
私の場合はエシカルな動機ではなく、工場畜産の環境負荷や持続不可能性から、植物性だけで生きられるなら生活コスト削減できて生存可能性が上がるかも、という考えから。

ネットじゃ動物愛護動機の人が無理して体質に合わないヴィーガンを続けて体を壊してる例が幾つも見付かりますね。

全人類、誰であっても同じ燃料とオイルで問題なく作動する機械である、という考え方こそ不自然極まりないんだけど、西洋由来の、全然未完成な学問である栄養学が疫病のように蔓延してるからそうなる。向き不向きが有って当たり前。

そして「全人類誰にでも完全菜食が可能、なのでやらないのは悪」と煽る一部のヴィーガンの所為で、動物愛護動機の真面目な人達が体を壊す被害が出る。



>ただ、人間が動物性のものを食べずに生きていけるというのは、多少偶然であると思う。
>犬やイルカなどから進化していたとしたらば、そうは行かなかったのかもしれない。


「果実食主体の動物である猿から進化したから、菜食がヒトの本来食性である」というのは大いに間違ってますね。

ヒトがチンパンとの共通祖先から枝分かれしてヒトに進化出来たのは、動物食への対応を余儀なくされる生活環境の激変があったからです。具体的には高カロリー植物食である木の実果実が豊富な森林が縮小し、木の実と草以外の植物がほぼ見付けられないサバンナに暮らさなければならなくなったから。

それ故、食性を変えずに済んだ幸運な?お猿さんは数百万年もチンパン止まり、です。

腸⇔脳トレードオフや、骨髄食、などといった言葉はご存じないですか?

地球上でヒトほど多種多様な環境に適応してる種はいません。
先に挙げたサバンナや、前氷河期前などの欧州(というか、ほぼユーラシア全域)の様な環境で、牛のように反芻できない、ウサギのように糞の再食もしない、膨大なバクテリアに食物繊維を分解させて栄養を取り出す巨大な大腸も持たないヒトが、そこで代謝を維持するためには、草や木の葉を脂肪蛋白に変換してくれる草食獣を獲って食う他ありません。

地球環境はヒトの都合で決まりませんから、今後いざサバンナ気候が支配的になったとき、それに適応できる体質の者が居れば全滅が防げます。

逆に高カロリー植物食は豊富でも、捕らえ難い獲物や、獲物そのものが少なければ完全菜食への対応が迫られますので、その様な体質のヒトも同時に居る、という事です。
「雑食だった頃は常に体調が悪かったけど、菜食に変えてからは健康になった」というヴィーガンが多く見付かりますし、近頃ではその逆の、断糖肉食をパーマネントに行って健康になった、という人も大勢出てきてますね。

肉食オンリーの食性に適応できる者の消化器官の性質と、逆に完全採食に適応可能な体質の者の消化器官の性質は、同じヒトでも大きく違う為に、完全菜食で不具合を起こすものが実在する、という事でしょう。

何故だか知らない、現実に完全菜食が不可能な体質の者が多く居るのに、それは無かった事になってしまって、「人間は動物を食さないでも行きていける。」という誤った言説が罷り通ってます。

これ、単なる錯誤ってだけの話なら問題無いですが、それを信じて被害者が出てしまうのは、明らかに害悪ですよね。

アニマルライツの為にヒューマンライツが損ねられたら困ります。

No title

ごめんなさい、他所に転載する為に確認してたら、書き間違えを見付けたので。


 × 木の実

 ○ 木の葉


ヒトがチンパンとの共通祖先から枝分かれしてヒトに進化出来たのは、動物食への対応を余儀なくされる生活環境の激変があったからです。具体的には高カロリー植物食である木の実果実が豊富な森林が縮小し、木の葉と草以外の植物がほぼ見付けられないサバンナに暮らさなければならなくなったから。

No title

かすがべ さん
コメントありがとうございます!

トライしてみて厳しい結果だったという事ですね

この記事では、「食べないでも生きていける」について、
一般化してしまっており、ここは良くないですね。
運動が続いた時期で、勢い込んでしまっていたのかも。

「野菜のみを食べたり、ほとんど植物性のものしか食べたりで平気な人も、
一定数いる」
「肉や魚を食べている人でも、その量をかなり落として健康を保てている事例がある」
ぐらいが清潔ですね。

現在では、「ラクトベジ、オボベジなどから試す、
ないし少量の魚食だとか人それぞれに、慎重にヴィーガン方向を目指すのが良いのでは」
と言っています。(友人であるとか、街で話した人だとかでベジ的な話に興味を持った人に対して)

適応や進化の視点は、興味深いですね。時々考えます。
たとえば「人が人を差別するメカニズム」とか、
心理学や脳神経科学の研究などでも、色々有りますね。
多くの人が言葉にしたくないような恐ろしい人間間の事件なども、
実は適応的な行動の一つなのではないか?などとも考えたりします。

ただ私の場合は、動物倫理の話をするときには、
割と古い倫理学っぽい文脈がメインで、
しいて言えば1970年代あたりから現代まで
どの時代の情報(科学的研究など)を基にしても共通して言えそうなこと、
その辺で考えています。

この投稿をしたときは、
<どう考えても全個体、ほぼ肉しか食べられないような「人間に酷似した生き物」>
が登場した時、どうしたらよいのか?といった思考実験的なものが頭を巡っていたと思います。
それで、イルカや犬の話を出した記憶が有ります。犬は「猫」のほうが良かったですね。

人間の権利を全く無視するタイプのアニマルライツには、私は賛同しません。
ただし、動物の痛み・苦しみを減らす為に、
いくらか人間がマイナスな影響を被ることは、
人間同士のそれと同様、ある程度仕方ないのではないか、と考えています。
それをどのようにしていけば良いかは、すぐには答えなど出ないという事で、
でも思考停止はしたくない、というのをこの記事でも書きたかったのです。

No title

御返事有難うございます。

ツィッターでは確かにやり難いですね。ですが、だからこそ、一度短い文で書かれた誤解が生まれても、それが訂正されないまま広がってしまう危険性が有ります。

というか、捕鯨・イルカ漁に関してはツィッター流行以降、明らかに誤解が放置される傾向が激しくなってます。

WAZAの件は二月ほど前話題になってましたが、「食用と生体販売用を別けて追い込め。でなければWAZAから追い出す。」おいう脅しが有り、脱退すれば動物園等で必要な他の野生動物輸入に支障が出るため、屈してしまった、という経緯が有ります(結局JAWAはWAZAに残る為に、太地から生体イルカを調達しない、と決めた、という形)。

しかし、WAZAは「何故そうしなければならないのか?」を一度も論理で説明する事が有りませんでした。

唯「残酷であるから・倫理的問題がある」と言うだけ。そこで或る捕鯨反対派が「イルカは耳が良いから、生体販売用の個体が食用捕殺個体が殺されるときの悲鳴を聞くのが、その後も生きる彼らにとって残酷であるから」という根拠を出しました。

ならば、生体販売用を選別後、それを速やかに移送してから食用個体を捕殺すれば、追い込みを別ける必要は無く、WAZAの要請にも反せず、追い出される事もないのでは?何故、WAZAはそれを具体的な「してはいけない」根拠として提示しなかったのか?

「悲鳴を聞くから」が倫理的に悪いとするのに賛同するかどうかは別として、少なくともそう言われれば、太地側は対応可能だったわけです。だけど、WAZAは最後まで曖昧な根拠しか言わなかった。JAZAや太地側が根拠が無い要請には容易に従えない、と知っていたからでしょう。

つまり、愛護団体からの要請で動いてるWAZAの目的は「イルカ追い込み漁や太地町そのものへの圧力をかける事」であって、現実に具体的な改善対応をされては困るわけです。だから、敢えて対応できないように何が良くないのか?を具体指摘しない。

食用/生体用の追い込みを別ける、という事は漁師としては単に二度手間なだけでなく、小船で大きなイルカを誘導するので、危険が伴います。

動物のベネフィットを理由に人間のベネフィットが阻害されてしまうには、少なくとも相応な、論理的客観的な根拠が無ければなりません。それが無いまま「残酷だ」という価値観のみに依拠した要請には従えないし、反対派もそれを承知してるわけです。

長くなりましたので、菜食に関しては再度。

お返事どうもです

こんばんは

まず共有できる前提は「誤った情報は流さないほうが良い」ですね。


WAZA/JAZAに関してですが、これらの団体は、互いに不誠実な対応をし合ったとも聞きます。
これらの団体の言う事は、私としては参考程度です。
AFDという団体から長年圧力が有ったそうですが、これも分かりません。
私自身も、この問題に関してJAZA/WAZAなどに何も言っておらず、何にも属していません。


私は、幅広く・浅く(ゆるく)動物問題を考えています。
この問題では思考が先に来るタイプなので、現実的にどうするかは、時にさほど追求しない面もあります。

これはそうですね…「政治哲学をやっているが、
リアルな政治にはあまり口出ししない人」とかと少し似るでしょうか。

イルカ食やクジラ食、水族館・動物園(特に日本にあるような)への収容は、
どれも「あまりない方が良いこと」と考えます。
可能であるならば有感生物(なるもの)はあまり食べない方がいいし、
娯楽などに他種を使うのも、好ましくないと考えます。

この根拠は、功利主義(いわゆる最大多数の最大幸福)の敷衍に、よっています。
カント主義的なものは私はあまり勉強もしていないし、そもそもが肌に合いません。

どれも強めの主張ですが、それを人に「強く押し付けている」わけではありません。
企業や自治体や消費者にも、
強い手法(電話をするとか、無礼なメールを送るとか)で訴えることは一切していません。
ここを混同されないように気をつけています。


「追い込み漁」ですが、これだけが特に問題だという言い方は、そもそもどうかと私も思います。
イルカを利用すること全体に反対であるとか、鯨類を殺すなとか、
あるいはどうでも良いとか、もう少し広くないと整合性が取れません。


動物問題では「アニマルライツ」を前面に出し色々なものの「全廃」などいわば理想論を考える一方、
現実的にできることを一つ一つ行い、興味関心をもつ者を増やすことも必要になります。
常に「アニマル・ウェルフェア(福祉の向上)」のみで止まってしまう人もいますが、
「アニマルライツ」を頭に置きながら「アニマル・ウエルフェア」を行う事例も多々あります。

「水族館+追い込み漁」に絞って何かを言うことは、
「何でもかんでも全部反対しろ」ではなく、
まず、ひとつのお話についての問題意識を持ってもらおう、という狙いもあるでしょう。
ここは整合性よりも「効果」を狙った動きですね。

言い換えますと、理想論だけに走り、効果を狙わない運動は、そもそも非合理的なのではないか?と。
私が始めたキャンペーンではありませんが、そういうことだと理解しています。
毛皮やフォアグラ、「化粧品限定での」動物実験反対などは、主にこういう狙いですね。


「猟」ですが、工場的畜産と比べますと、非倫理的な状態なのは後者でしょう。
また、動物園(いわゆる日本にあるようなもの)も非倫理的だと思いますが、
工場的畜産に近いのは、猟ではなく動物園でしょう。

もし、イルカが全て動物園館内で繁殖されることになり、
その為のイルカ猟が行われなくなり、捕獲は食用のものだけになったとします。
この場合は、私は前者の批判に力を入れると思います。
(力の配分を変えるという意味で、過激な行動をするなどではありません)


また、食べるために他種に痛み・苦しみを与えることよりは、
展示したり、ショーをさせるほうが、より「おかしな」行為であると判断します。


イルカやクジラに特化して活動・発言するタイプの人と、そうでない人(私も一応入りますね)は、
実はかなり対立しています。
ここも、報道されない点、或いは「誤った情報を流されがちな点」と言えるでしょう。

日本では多くの人が犬食を忌避したり、馬の利用に猛反発が起きる国もありますね、
イルカについてそのように「強い心情」に突き動かされて行動するのだと言われれば、
非論理的であると指摘はしても、私は、それ(態度)を認めます。

ただ、そうでもない(イルカになにか強烈なシンパシーを感じるのでもない)
人が、特化してイルカやクジラの問題に取り組んでくるのは、私、良く分からないのです。
このあたりは震災前などに少しディスカッションの機会とか流れができたんですが、
震災で一度流れ、今年からまた流れが再開している印象です。


私の考えは、言わば動物倫理学者サンたちの「劣化コピー」のようなものでもあります。
それにすら至りませんが、ま、ニュアンスとして分かっていただければと。
彼らよりは「活動家」的かもしれませんが、
多くの活動家的な人に比べますと、別にそれほど、強く何かを言ったりしていません。
例えばイルカ猟についても、個別のそれほど細かい事情は、知りません。
「ある程度確実に言えそうなこと」に絞って書いています。


私はイルカが特別な動物だとは思いません。
犬や猫、牛豚、鳥、猪、熊、魚も入れますか、色々ですがその辺の中の一つです。
ただ、特別視しないわけなので、イルカ問題だけに「触れない」とするのもまた不自然になります。


10
私が重視しているのは「消費者に対しての運動」です。
言い換えると、アニマルライツの考えが殆どなかった、
「過去の自分」のような人に対しての運動と言ってもいいかもしれません。

よって、イルカ問題であれば「ショーを見に行かない」などがアピールの仕方として挙げられます。
イルカ食やクジラ食に関しては、「体調に問題が出ないなら、あまり肉は食べないほうがいいだろう」の<中>に入ります。

「フォアグラを食べない」「毛皮を買わない」「実験していないコスメを選ぼう」
こういったのも、消費者・過去の自分が行えることだから、行っています。

海外向けとしてはもう少し大きく出て「STOP狩猟」などを掲げる場合もありますが、
その辺は状況を見て、人を傷つけない方法を選んでいます。

・・

まだまだ勉強中ではありますが、現時点ではこんなところです。

No title

丁寧なお返事有難うございます。

色んな事を考えつつ、ツィッターでちょこちょこおかしな発言を見付けて突いたりしながら、77OTさんの書かれた事への返答を考えています。数度に別けてのお返事なるかもしれません。

一先ず一つ前のお返事と、その次のコメントの前半の1~4までの項目に関してですが、特に異論を感じる事は有りません。

「反対する自由」は主張心情の自由ですし、価値観の問題なので。「抗議する自由」までは人の権利ですが、SSがやってる様な「妨害行為」とボイコット呼びかけなどの実害を起こす事を目的とした「ネガティブキャンペーン」は、それが正当化されるための明確な客観基準、「してはいけない理由」の提示による線引きの根拠が無ければ、それは人への人権侵害ですので、ここがアニマルライツ一般で曖昧にされてるのは問題だと思います。ですが、「アクティビスト」全般が悪いとも思いません法整備が整ってなかったり、法が不公平だったりすれば、「違法」であっても「悪い事」でない場合が有る可能性だってあるかと思います。


動物食肯定、狩猟も肯定、ヒト中心主義肯定、などを表明するとまるで「苦痛を考慮しなくていい」と言ってるみたいな受け取られ方をされたり、菜食主義の否定だと思われたりする事が多いのですが、それらとアニマルウェルフェア・ヴィーガニズムは矛盾なく社会改善に役立ちます。

この段階で早合点されて、昨日の様に「話の土台すら造れない人」が発火してしまう、それで馬鹿馬鹿しくなって大いにふざける、というのがルーチン化してます。真面目な話は中々させてくれません。

事動物利用に関し、何が様々な軋轢を生んでるのか?というと、食用の件だけに絞れば「全人類に可能かどうか?」でほぼ結論が出てしまい、あとは体質的に向いてるかもしれない者がもっと大勢居るだろうから、無理の無い範囲で各々トライしてみる、というのが環境面でもいい(と、ここまでの話すら、黙って聞いてられないヴィーガンの人は多いですw)んですが、

それに加えて動物園・水族館・サーカス・毛皮・動物実験・・・のケースもごちゃ混ぜにしたまま、其々が基準を設定できない、線引き設定する気すら無いまま、唯感情的な反対運動が起こって、それへの反発もまた起こり、互いにちっとも相手の話をまともに聞けない・・・という現状でしょうね。

数日前から、カタコト日本語で太地町の批判をしてる外国人が大勢居るのを改めて幾つか読んで見て、案外それでも意味が通じるので、慣れない私のカタコト英語ででも伝わるのではないか?とやってみましたが、恐らく今まで私の言うような内容の反論は誰にもされた事が無かったかのような反応でした。

一言で言えば、「公平でない・線引きの基準が曖昧なまま」。これを御座なりにしたままで感情だけで先走る、或いは、誰もそれを指摘しないので、解かってて敢えて無視したまま、自分の贔屓の動物利用だけを邪魔しようとする、という出鱈目が数と資金力・組織力を背景に横行してるのが現状かと思います。

そんな不公平が明確になるのは、主に映像を撮られてネットにアップロード、大々的にネガティブキャンペーンの餌食となるだけでなく、現実に漁の妨害好意までされる、というのがほぼ、捕鯨・イルカ漁オンリーだからだと思いますが、それへの具体的なツッコミが無視されてるのか、相手に理解する能力が無いのか、それともあまりに動物への扱い・序列付け等、価値観の開きが大き過ぎるのか、

又は単純に「数は力だから、自分達の我を押し通してしまおう」という自己中心的な目論見からなのか、具体的な反論は一切出来ないまま、彼等はそれを誰も省みようともしません。

食用だけでなく、他の全ての動物利用等を解決方法は「全人類に通じる線引きの基準を決定する事」「資金や組織力を排除して、公平性を確保する事」、だと思いますが、恐らく非常に困難でしょう。なんだかんだと言って、結局は欧米陣の価値観が支配的で、カネも影響力も、ハリウッド的なノウハウもありますから。

しかし、解かり易い線引きの基準として、繰り返し繰り返し伝えていけば、大半は「なるべく、公平であろう、ありたい」と考えてる大勢の人達、価値観・感情だけで行動まで起こしてしまう馬鹿を除いた大多数に受け入れられるかもしれないのは

「価値観以外の、してはいけない理由」が無ければ、何をしても自由、

という行動基準です。

たとえば、捕鯨ならば「商業利用に耐えられないほど減って、種内遺伝多様性/繁殖能力が落ちてる鯨種」への捕鯨は「してはいけない理由」になりますが、持続利用可能な鯨種へのそれは「してはいけない理由が無い」ので、してもいい。

動物利用に限らず、公海上の海底資源開発の場合、「そこを掘れば海底火山が活発化する」という理由があればしてはいけないが、そうでないなら誰が何処を掘って利用してもいい、と。

海底火山などは調査に手心が加えられたりする可能性が有りますし、動物利用もIWCなどは出鱈目が横行してますけど、こと調査数値に関しては公平な扱いは可能です(反捕鯨国学者の調査捕鯨への同乗、日本側が求めてますが、相手が乗らないwけども、母船一隻に検体と試料を集めてるので、監視など簡単です。これは商業開始移行でも、公開捕鯨ですら精々母船2隻程度なので、『密漁』は出来ません)。

個人的に捕鯨に関しての話は特によくやってるので説明しやすいですが、他の動物利用に関しても、最低限のスタートラインとして「してはいけない理由」の線引き設定を済ませない事には進みません。

例を挙げると、「水族館でイルカを飼うのは、何故いいのか?悪いのか?」この線引きは「食用として殺すよりも、たとえ寿命が短くなっても、生かして飼育する事がマシ」ならば、「水族館での飼育やそのための生体捕獲販売は是」となります。しかしこれは「同じ生かすなら、飼育環境を改善しましょう」というウェルフェアで、イルカへの負担は大きく変わります。

今現在「イルカ飼育・トレーナーその他の技術職で生きてる人達」が「殺してないのに、その職を奪われる」という実例は、「殺してるのに、そのまま同じ職業を続けられる他の動物利用者」の存在で線引きとして成立しなくなってしまいます。「徐々に水族館展示を減らす」ならば、他の全ての「殺す、飼う、生体展示する」も徐々に減らすのか、その公平性はどうやって保てるのか?と考えると、「動物と他の生物の間に一本線を引き、その中でウェルフェアを実現する」という以外の方法は無いかと思います。

「ヒトは特別扱いしなければならない」という根拠説明は要らないかと思ってましたが、そこも明確にならないまま「反種差別」などという学問や「反ヒト中心主義」などという考え方が援用されて益々グチャグチャになって線引き根拠どころじゃなくなってる者も大勢居ますから、先ずはその解決が先かもしれません。

いや、それよりも「完全菜食は全人類に可能」という誤解解消の方が先かな・・・?あれは実例が多数有るのに、議論の場に持ち上げられ難い、という謎があります。逆に「完全菜食なんて、誰にだって健康に悪い」という者や「植物差別だ」なんて話ばかりで、尚更菜食者がアンチ菜食者を馬鹿にして避け、話が進まない、ってのが大きな問題になってますが、私が真面目な話をしだしても、すぐにブロックされるから、同じですね・・・w



長くなったので、またツィッター突きながら、後半へのお返事を考えますが、一つ先のコメントで解かり難かった件がありまして、項目「5」の「前者」と「後者」は其々何を指してるのでしょうか?

Re: No title

かすがべ さま

>動物食肯定、狩猟も肯定、ヒト中心主義肯定、
>などを表明するとまるで「苦痛を考慮しなくていい」と言ってるみたいな受け取られ方をされたり、
>菜食主義の否定だと思われたりする事が多いのですが、
>それらとアニマルウェルフェア・ヴィーガニズムは矛盾なく社会改善に役立ちます。

こちらですが、
オール・オア・ナッシングが良くないと考えますし、
何と申しますか、このような方が増えますと全体の動物倫理向上に役立つと思います。
ミートフリーマンデーを実行するのみとか、それですらも寄与すると考えますので。

>一つ先のコメントで解かり難かった件がありまして、項目「5」の「前者」と「後者」は其々何を指してるのでしょうか?

これは、
1水族館・動物園で、”展示を続けるためのイルカの繁殖”が行われている状態(イルカ猟はない)
2水族館・動物園で、”展示を続けるためのイルカの繁殖”が行われず、
展示・収容を目的としたイルカ猟はない (イルカ猟自体はある)
この場合では、2の方が好ましいのではないか?といったことでした。
(あくまで、現在の日本の園館状況等を想定した話で、
大変広大な動物園だとか、色々考えればまた違う話にもなり得ます。
1も2も人間側の害が同じだとすれば、1の方がイルカ側の害が大きいのでは?との理由)

以下まあ、ダラダラとしていますが私・現時点なりに色々と。

>事動物利用に関し、何が様々な軋轢を生んでるのか?というと、
>食用の件だけに絞れば「全人類に可能かどうか?」でほぼ結論が出てしまい、
>あとは体質的に向いてるかもしれない者がもっと大勢居るだろうから、
>無理の無い範囲で各々トライしてみる、というのが環境面でもいい

そうだと思いますよ。>無理のない範囲で各々トライするのが環境面でもいい
日本の、団体系の活動家の多くは、
「知ってくれた方が各自やれることを無理なくするのが好ましい」、
「どれほど僅かな変化でも、何かしら考える人が増えればいい」
との考えが多く、個々人に完璧を求める人は少ないです。

いわゆる「Vegan」系の人は、活動家タイプとはまた違い、
自分一人で、静かに生活スタイルの変化構築をしている人といったイメージ。
ネット普及(特にここ数年のSNS普及など)がなければ目立たなかった人達とも思います。

>それに加えて動物園・水族館・サーカス・毛皮・動物実験・・・のケースもごちゃ混ぜにしたまま、
>其々が基準を設定できない、線引き設定する気すら無いまま、
>唯感情的な反対運動が起こって、それへの反発もまた起こり、
>互いにちっとも相手の話をまともに聞けない・・・という現状でしょうね。

この辺りは、ネットで考えると
動物分野のみならず、最近のSNS文化、短文文化などの影響も感じますね。

(特に個人への)反対意見の投げかけは、たとえそれが正しくても反発を呼ぶ行為にはなり得ますので
その応酬になると不毛ですし、双方頑な・不信になってしまいます
「肉を食べるな」「サーカスに行くな」などと突然見知らぬ人にメンションすれば、反感を買うのはほぼ当然ですね。
この辺は、Twitterなどの普及に合わせ、各自学んでいくしかないのかなと。

>一言で言えば、「公平でない・線引きの基準が曖昧なまま」。
>これを御座なりにしたままで感情だけで先走る、或いは、誰もそれを指摘しないので、
>解かってて敢えて無視したまま、自分の贔屓の動物利用だけを邪魔しようとする、
>という出鱈目が数と資金力・組織力を背景に横行してるのが現状かと思います。

線引とか公平さに関しては、各自考えようとはしていても、完璧にはできないのも実情と考えます。
功利的な考え方の中では、厳密さにこだわり過ぎるのも功利性を欠くとする考えもあります。
(傘を貸してくれるというので借りるとき、そのどれを借りるのが相手に最も迷惑でないか、
あまり長時間は考えないほうが良い等)

動物問題においても、どちらがより優先して解決すべき課題か明白なケースも有れば、微妙なものもと。
人間への行き過ぎた侵害にならなければ、動物問題のどれを優先するかは、多少曖昧でも仕方ないと思います。

この態度(曖昧さ許容)は「倫理」ではむしろ重要なものでもあります。
「魚」あるいは「虫」問題には明確な態度を示さない専門家も多いですが、
その問題がどうでもいいのではなくて、「曖昧なもの」として残すという態度ですね。



動物問題だけでもないですが、
アピール活動では、知ってくれた人が個々に個々の意志でどう動くかが鍵で、
例えば「フォアグラ」というテーマに感心を持った上で、フォアグラに特化して関心を高めてくれてもいいし、
鶏問題などに関心を広げてくれてもいいし、個人が趣味で鳥を飼うことへの疑問になるかも?と。

またキャンペーンでは、発信側はそれに「キャンペーン性がある」と自覚が必要ですね。
ここで少し、発信者自身が自覚してないという問題も感じてます。

たとえば、巷の種々の「書物の題名」なども、その書物の内容を適切に表していないものも多いですが、
許容されますし、売り手買い手の便益にも。
売り手も各関係者も、序に言えば買い手も、そこは理解すると。

※詩的なメッセージなどは、割と誤解されないし本人も分かると思うんですよ。
「答えは、動物たちが全て知っている」だとかは、論理的なメッセージでないにせよ、
別に真顔で批判するようなものでもなし、書いた方も分かってると。



このように、
<理屈で考えるにしても、公正さを求めることに限界が生じる場面がある>
という部分と、
<キャンペーン効果を狙う上で、熟考しすぎるより、
まずは色々なテーマを切り出すことでトータルの効果が上がる>
という部分、
”曖昧さが生じてもやや仕方ないと思うこと”が、2点あると個人的には思います。

ともあれ、行き過ぎたテーマ設定・行為などが生じないよう時々は相互チェックし、
団体の会合などで話し合うのも引き続き重要でしょう。

SNS文化などが隆盛となったここ数年は、個人ネット活動家のようなのも増え、
ヘンに固まらない良さ、「一般の方」と「団体等」のカベがなくグラデーションを成す良さが有る一方で、
残念ながら基本マナーに欠ける行為も増える傾向とは思います。
いささか安易なキャンペーンを作る人もいます。※これらのことは動物問題に限らないですね



「手法」の問題としては、「自分が反対されたら嫌なこと」で想像するのがいいと思い、時々言っています。
お酒の好きな人がいるとして
誰かがお酒を飲まない宣言 → 勝手にしたら良い
お酒反対デモを知る → 勝手にやっているぶんには何とも思わない
お酒反対のチラシを渡される → まあ良いかと思う
お酒を買ったところで、お酒反対のチラシを渡される → 反発心が起きる
居酒屋などから出てきたところで、お酒反対を言われる → 困る
友人とお酒を飲んだ写真をネットに上げたら、無礼な文句を書き込まれた → 困る
スーパーの店員として働いていたら、お酒を売るなと言われた → 困る、自分ではどうにもできない
お酒をメインとしない大手飲料メーカーに勤めていたら、お酒販売を止めるよう求める穏便なメールが来た
→ 周囲との調整もあるし直ぐには応じられない話だが、今後の参考にはできるかもと考える

こういったのを各自考えれば、困る・迷惑な方法が分かり、
あまり迷惑でない方法は≒効果的な方法 とも分かるでしょう。

「狩猟はしないほうが良いと思う」と誰宛でもなく「つぶやき」しても、直ちに大きく傷つく人はさほどいないと思います。
「釣りをする人は嫌だな」との誰宛でもない「つぶやき」を見ても、
別に、釣り等もしていた過去の自分は、さほど嫌だと思わなかったと考えます。

しかし、例の狩りガールさんの場合のように、メンションして個人攻撃をして良い、とはならないですよ。
あの人の場合は、超有名人のような扱いをすべきか、個人としてみるべきか難しいと考えた人もいるのかもですが、
私としては後者、一私人的に扱うべきだと思いました。
※有名で、かつ犬好きな海外映画スターのようなのがトロフィーハンティングなどを誇示したとすれば、
多少批判が来るのは仕方ないとか、その辺はバランス感覚っていいますか。

>そんな不公平が明確になるのは、主に映像を撮られてネットにアップロード、
>大々的にネガティブキャンペーンの餌食となるだけでなく、現実に漁の妨害好意までされる、
>というのがほぼ、捕鯨・イルカ漁オンリーだからだと思いますが、
>それへの具体的なツッコミが無視されてるのか、相手に理解する能力が無いのか、
>それともあまりに動物への扱い・序列付け等、価値観の開きが大き過ぎるのか、

イルカ・クジラ関係は、やっぱりあの映画の頃とか、外国人が突っ込んできたのが問題ですね。
「たまたま日本に住んでいた」西洋人のアニマルライツ系の人なども大変迷惑したかと…。

もう完全に序列付けとしてイルカ等が別だという人もいて、この層は言ってもある程度しかたないです。

中間的な人は、自分の立場を明確にすることが求められていると思います。
<哺乳類を水族館等に収容するのに懐疑的>→その中にイルカも入ることになるでしょうし、
<ベジ志向である>→あえて鯨類の肉だけは食べるというのも、珍妙な話になります。
こういった人と「イルカ・クジラに極端な人」とでは、ここ4年ぐらいで、
ある程度折り合いがついてきたけども、まだ対立も有り、話し合い不十分といった感じで。

>しかし、解かり易い線引きの基準として、繰り返し繰り返し伝えていけば、
>大半は「なるべく、公平であろう、ありたい」と考えてる大勢の人達、
>価値観・感情だけで行動まで起こしてしまう馬鹿を除いた大多数に受け入れられるかもしれないのは

>「価値観以外の、してはいけない理由」が無ければ、何をしても自由、

>という行動基準です。

「他者に危害を加えなければ、別に何をしてもよい」はヒト間では基本ですね。

その辺から私が考えると、人間の動物に対しての行為の問題は
(人間の)「自由ではあるが、道徳的に不適切な行い」をどう考えるかのような感じです。

動物を食べたりするのが「不適切」とか「愚行」という意味では間違ってもなくて、
やや「愚行権」に対するのと近い触れ方が適切…などとも思ったりします。

危険なドラッグの乱用をしてなお「自分以外の誰にも絶対に迷惑がかからない状況」であれば、
それはしてもいいわけですが、不適切ではあるかもしれないと。
危険なドラッグAが良くて、同等に危険なBが悪い、とかはおかしいと。

この辺で私が思うのは、実際にしてはいけない(法的に縛る、強制される)ということと、
「するな」とアピールすることの違いです。

上の、お酒反対アピールや狩りガールの場合でもそうですが、その「NO」の伝え方の度合いの問題でもある
(意思表明に近いもの~権利侵害のようなものまで)、と思いますね。

>「ヒトは特別扱いしなければならない」という根拠説明は要らないかと思ってましたが、
>そこも明確にならないまま「反種差別」などという学問や「反ヒト中心主義」などという考え方が援用されて
>益々グチャグチャになって線引き根拠どころじゃなくなってる者も大勢居ますから、先ずはその解決が先かもしれません。

ここ数年、日本の倫理・科学哲学等の専門家が増えてきた
(日本語の書物なども増えた)のは、全体には好ましいことかと思います。

実践倫理学のようなのでは、「今できること」「受け入れられること」などを都度実践していく試みになりますし、
日本の識者の方は、あまりにラジカルな方法などは嫌がります。

こういう分野では、自動的に導出されるものとして、極端な議論が一度現れる場合もありますね。
極端な議論をベースにして修正していくような流れも。
いずれにせよ上のように「受け入れられること」しかできず、極端な話がそのまま採用されることは当然なしと。

「反ヒト中心主義」なども、「ヒト中心主義が絶対にダメで今直ちに脱却なんだ」というような意味のことと、
「ヒト中心主義から外れたことを考えながらも、ヒト中心主義のワクの中で考える」のようなのは、似ていても違いますね。

上のキャンペーンの話(それがキャンペーンである自覚)とも同じですが、
二層的というか、ある種のダブスタというか、そういうものは発信側も自覚すべきだし、
受け手側も慣れることで変わると思います。

たとえば<やや極端な、非現実的な思想を言う>のはそれ自体おかしくないですが、
それと、<実行可能なこと・現実にして良いこと>は別ですし、
そう自覚した上でなお「理想」とかは、平行して考え続けていても良いわけです。

いわゆる「功利主義」にしましても、それを大変野放図に(あるいは純粋過ぎる?)応用すると、
ある種や個体群が全く無視されたりということも起き兼ねません。
人間同士の中でも、全くそのまま応用すると、ないがしろにされていい人などが生じますね。

「最大多数の最大幸福で考え、その客体(配慮の対象)に動物も入るけれども、
ところどころ義務論的なルールを入れる」ような、古典的ですがやはりそういうのが現実的なような。

またそうしたナンタラ主義を応用してどうのも、誰かがポンと決めることではなくて、
キャンペーン等をはじめアピール活動で、あるいは読書や実践の結果、
「たとえユルくとも動物倫理の問題を考える主体(人間)」が年月かけて増えることにより、
より良いことや新たな問題などが、年を追って確かになったり、再度議論されたりと。
動物の行動は、数年、十年で何か変わるわけでもないでしょうが、人間は変わりますし。

※動物倫理意識が広まる過程では、人間の意図的な行動が起きたがゆえに、ある種・個体に侵害的になる、
との状況も考えられるので、そこも大事ですね。

日本のいわゆる「動物愛護」の人は、
「命」とか「愛」などを他の理屈より先に言ったりします。扱いにくい概念でもありますが、
そういう方向から動きが出ること自体は、否定はできません。
実力行使をしない、お金がらみが殆ど無いなど日本の活動の良い点も有ります、
日本的穏やかさと、(英米・独倫理系の日本人識者・専門の学生さんなどが増えた結果)
西洋的な考えが上手く組み合わされていく、と。これも今後時間をかけて変わっていくことかなと思います。

>いや、それよりも「完全菜食は全人類に可能」という誤解解消の方が先かな・・・?
>あれは実例が多数有るのに、議論の場に持ち上げられ難い、という謎があります。
>逆に「完全菜食なんて、誰にだって健康に悪い」という者や「植物差別だ」なんて話ばかりで、
>尚更菜食者がアンチ菜食者を馬鹿にして避け、話が進まない、ってのが大きな問題になってますが、
>私が真面目な話をしだしても、すぐにブロックされるから、同じですね・・・w

ここはたいへん重要と思いますよ。この気付きに感謝しています。
「誰しもがヴィーガンになれるのではない」が、そういった志向の否定には全くつながらないわけですし。

ま、色々と長く読みづらくなり恐縮です、私としましては本コメ冒頭につながって
「動物について何も考えない・ほとんど何も考えないよりは、各自でなるべく」が良いし、
穏健な状況を保ちつつ、年月かけてそれが広まればいい、考える主体が増えたら全体に良い、…のようなことになりますね。
プロフィール

77OT

Author:77OT
現在は休止中ですが電動RCが趣味。動物問題への関心を高めています。Twitter、Youtubeもあります。ブログはこちらFC2がメインです。

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