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サロンにて、オランダの話から学んだこと

生命倫理サロンに赴いてきた。1月14日のことである。


テーマはオランダにおける「安楽死」である(人の)。
先に言っておくとサロンでの発言は個人を特定するように書くことは出来ない。


非常に大雑把に、感じたことを書いてみると、オランダはとにかく良く話し合う国であるということだ。何となくこれでいいだろう、が無いし、それが徹底していると。


オランダでは、日本ではほとんど「(いわゆる)安楽死」と捉えられないような方法での安楽死も行われる。自己安楽死というものである。レジュメによれば断食の他、ヘリウムや投薬という方法がある。これには「家庭医」の存在も大きく影響している。


動物方面について何か得るものはないかと思って臨んだが、「とにかくよく話し合う」ということ、これに尽きると思った。


たとえばいわゆる「安楽死」について、子供にどう教育するのかという疑問も当然生じたが、それらについても、平素より徹底した「話し合い」の文化が根付いていれば、数多ある問題の一つにすぎないということになる。

いかにも問題になりそうなことだけでなく、小さなことでもしっかり考えるということだ。となれば、いかにも問題になりそうなことは、もちろん各自考えて話し合うのは勿論である。「これは論じなくてはいけない」「これは大した問題ではない」といった切り分けがおそらく薄く、シームレスなのだろう。


また、「自分らしく生きる」ということもオランダでは徹底している。あまり好ましくないと思われるような生き方であっても、その人らしいことには変わりないのだ。ただ、誰でもがやりたい放題では困る(各自が自分らしく生きられない)から、然るべき制限や刑罰などもあるということだろう。当たり前のようだが、日本の感覚とはどこか決定的に違う。

「らしく」で言うと、過日渋谷で行われた田上先生の講演会(倫理学から学ぶ動物の権利)でも、「その動物らしく生きる」ことが善いであろう、という風なお話があった。これについても一定の妥協(人間側の都合)はどうしても出てきてしまうが、方向性としては全くその通り(らしく生きる、が大事)であると思う。


オランダの安楽死法(要請による生命の終結及び自死の援助審査法、2002)によれば、6つの「注意深さの要件」がある(レジュメより。山下邦也さん訳)。

その中で印象的なのは、「医師は、他の合理的な解決策がないことについて、患者とともに確信を有していること」との文言だ。

いわゆる「安楽死」の問題に限らない。動物問題に関しても、これ(何らかの問題が目の前にあるとき、他の合理的な解決策がないかを徹底して考える)が重要なのだ。


オランダが全てにおいて最高であるかは僕には分からないが、動物問題における先進国のひとつであることは確かであろう。その理由・近づくヒントがたくさん得られた。日本は日本でやり方は違ってくるかもしれないが、オランダに学ぶ面は多々ある。


特に安楽死に興味を持って臨んだわけではなく、サロン、行ける時は気楽に行くようにしているわけだが、今回も得るところは極めて大きかった。


※私は特段「安楽死」について強い興味を持って参加したわけでもないので、これは単なる雑感である。オランダでの安楽死に関して詳しくは、シャボットあかね氏の著書なども参考になると思う。
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現在は休止中ですが電動RCが趣味。動物問題への関心を高めています。Twitter、Youtubeもあります。ブログはこちらFC2がメインです。

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