星野とレイナード

たまに、何気なく検索ワードを見てみることがある。

検索ワード=何を調べた結果このブログにお越しになったか、だ。
(ま、実際はすぐ去ってしまった方が多いとしても(笑)

だいぶ以前、「星野 レイナード」というのが有った。
そういうのを調べている人がいるのか、と妙にうれしかったものだ。

僕の記憶では、これは1992年だったように思う。
キャビン・カラーの時代(結果的には最後)だ。

1992年といえば大ファンである利男選手が大躍進を遂げた一方、

F3000において、星野選手は非常に苦しんでいる印象があった。
途中でエンジンをDFVに換える、予選落ちを喫するなどもあったと思う。

前年のチャンプである右京選手はF1へと行ってしまい(新たにヒーローズ入りしたのは琢弥選手)、
長谷見選手は1991年でF3000を引退した。

この年のレースは三回見に行っているが、
上位には来るものの、今ひとつ「勝つ」ようなキレは感じない印象であった。

そしてレイナードであるが、あえて調べないで書くと、
序盤の富士戦、例のあの、利男選手がストレート上で横浜タイヤを大バーストさせたあのレース、
あの時星野さんがレイナードであったように思うが、違うかもしれない。

確かに80年代後半から、ほぼ常にレイナードを使っていた「ロス・チーバー」の速さには目を見張るものがあったし、
「レイナードに賭けてみたい」という気持ちのチーム・ドライバーも多かったのだろうか。
他にも和田孝夫選手など、このころレイナードユーザーが少し増えた印象もある。

結局、80年代後半のレイナード登場~90年代半ばまでというのは、
レイナードは「注目」を浴びながらも、結局、ローラがほとんど勝っていた。

そうして、高木が登場した1995年、ラルフや服部が活躍した1996年、
本山がタイトルを獲得した1998年(ティームメイトのフォンタナも速かった)、
このあたりから、レイナードはなかなか強くなっていったのである。

しかも皮肉なことに?94年を以って「レイナード使い」たるチーバーは日本を去っている。

・・・ ・・・ ・・・

して、話は戻って星野さんの1992年だが、結局は苦戦のままシリーズを終えた印象がある。

しかし、翌1993年には怒涛のような速さ・強さを見せたのだ。
あのNISSEKIカラーが印象に残っている人も多いだろうか。

・・・1992年の暮れ、AS誌などの予想では
1993年のF3000チャンピオン候補筆頭は利男選手とされていた。
92年の勢いからすれば、そうなのだが(体制もほとんど変わらないし)、
「レースってもんはそうは行かない」、ともRC少年なりに感じていたのである。

・・・ ・・・ ・・・

ここは記憶があいまいだが、星野がF3000(FN)引退を決めた97春にも、
レイナード云々の可能性は口にしていたように思う。
それから利男選手は結局、1998年春のFNテストに出走しトップタイムをマークしたものの、
そのシーズンには出ず、そのままフォーミュラを降りている。このときもレイナードだった。

ともかくグダグダと、いくらでも思いがよみがえってくる。
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「Racing Views」さん

フォーミュラ・ニッポン(FN)に関する記事は、

Racing Views さんにて、質の高いものを無料で読むことができる。
サイトには広告などもない。

http://sites.google.com/site/racingviewsjapan/

細かな点は、実際にサイトを見てもらいたいと思う。

(僕自身は、最近のFNは毎戦見るなどして「状況をしっかり追う」ことは出来ていない)

個人的に言えば、ことに少年期~20代前半ころまで、ジャーナリスティックなMS記事を読むのが好きで、
実際にレースを観戦したり、TV観戦することのほか、
雑誌を読むことが本当に好きであり、「思い返してみると」そこからレースが好きになったという経緯もある。

中学生時代に読んだAS誌やレーシングオン誌のしっかりした文章と考察は大変興味深く、
子供なりに「真実とは何か」あるいは「この人の視点は何か」などを考えながら読み、
青年期に読んだ「文学・文芸」と同等程度に「勉強になった」と感じている部分である。

この他、AS誌などの「写真」からレースが好きになったというのもあるだろうし、
個人的にはTVでかかる音楽と映像のコラボ(F1とかいうよりむしろモーターランド等)にも大変惹かれていた。

「実は何が好きだったのか」とは、結構後にならないとわからないものである。

ま、その辺はさておき、FNなんかの情報も、ささっと見ておいて損はない。
「システムE」についての情報なんて、一般ニュースでは秋ごろになってようやく目にしたくらいなので・・・。


1994年のF3000を思い起こして

これもまたレアなレースがUPされている。

1994年、十勝で行われたF3000ノンタイトル戦である。
本格的にレースを追い始めて後、初めてのノンタイトル戦であった。

http://www.youtube.com/watch?v=8EoWtvgC5g8

これについてはさておくとして、
1994年というのは、F3000ファンにとってはどこか寂しい1年という側面もあったのではないだろうか。

もちろん、童夢(アピチェラ)のタイトル獲得、終盤での高木デビュー(中野や影山弟もデビューした)等、
エポックな点も今考えればあるわけだし、後半には国さんが3位をGETするなど、
シリーズ自体は見所もあり、星野やチーバー、黒澤の頑張り等もあって引き締まっていたのだが、
如何せん台数的に物足りないものがあった。

JTCCの開幕、JGTCの本格的始動の一年でもあり、
個人的にJTCCにはワクワクしたが、
トップフォーミュラたるF3000の台数が激減し、グループCは本当に世界のレースから消えていくのを実感する93→94であった。
Gr.Aの32なども見ることが出来なくなった。つまり時代の流れとして、速い車が消えていくことが実感されたのだ。



1994、F3000のエントリーを思い起こすと、アーバインがF1へと巣立ったの喜ぶべきこととしても、
まず、強力な2カー体制を堅持してきたNOVAがマルティーニの1台。
(後半には二台目に山田英二、中野、飯田も乗っている)

さらにムーンクラフトが消えている。
94年は、ローラ用のサイド部分MCSカウルのみをリリースしていたと記憶している。
また、93年結構速かったトムス(レイナードDFV)も一年で撤退している。
ステラは、ラッツェン+スコットの体制から、スコット一人へと縮小。
このほか、和田久や石川朗の所属していたCAPCOMチームなどもひっそりと姿を消している。



和田孝夫選手、関谷正徳選手も特に引退を表明するでもなく、93年でF3000から降りた。
関谷選手は、1993年もかなり乗れていただけに、もうひとっ走り見せてほしかった気もする。



また、僕としては利男選手が中途でシートを失った年としてやはりどこか空白のようになっている。
・・・結局はそれに尽きる面もあるが・・・
翌年「いいこと」があったとはいえ、このときはもう、それはそれは寂しかったのだ。
(序盤の富士のレースではかなりいい走りをしていたと記憶している)



また、中谷の不振も惜しいところである。1994年、中谷はスピードスターに移籍、
どことなく似合わないようなその組み合わせに、何となく期待が高まった。
(僕はこのような、いかにも日本っぽいカラーやティーム名などがすきなのだ)
しかし何がどう悪かったのか、全くいいところなしに終わり、以後F3000やFNに乗ることはなかった。
この結果、シーズン途中からクロスノフが再度SSRのシートを獲得している。
翌95年早々には震災があり、ダンロップのトップフォーミュラでの活躍は、1994年が最後となった。
(この年の中谷のマシンが三和プロポのCMに使われていたのは、懐かしい)



ノンタイトル戦を見ても星野の力強い走りは変わらないと感じさせる。
この1994年でロス・チーバーは長年本当によく戦った日本を ─結局はタイトルを獲れないままに─ 去り、
(それだからといってもチーバーが大変素晴らしかったことに変わりはない)
翌年はDL撤退の絡みもあってアピチェラの体制もややダウンする。
しかし1995年は高木の本格参戦で様相が一変する。

調べてみれば、前年度最終戦の参加26台から→開幕18台と1994年はやっぱりある面で寂しいレースでもあったわけだけども、
一つ一つのレースやエピソードを思い起こしてみると、やはりどれも、思いのほかにしっかり心に刻まれている。
このノンタイトル戦においてもスポット参戦古谷の頑張りは、F3などとオーバーラップさせればなお、胸が熱くなる。









1989年のF3000

大の利男選手ファンである自分だが、
本格的に知ったのは、1989年のことだ。
具体的にはAUTOSPORT誌やRacingOnを読み始めた事が大きいと思う。

雑誌を読むことで細かなレギュなどを知ることができ、
ことに、写真や文章にとても感動したものである。

RacingOnだったと思うが、開幕特集のF3000ドライバー名鑑を見て、
確か34歳、どこか寂しげな印象と眼差しの鋭さに惹きつけられた。
世界の舞台に立つ若手や、F1の二人などもいる中、
日本で戦うこういう世代のドライバーも大変なのだろう、と子供心に思ったものである。



さて
1989年開幕戦の映像がアップされている。(このTVではデビューの中谷選手をターゲットにしている)



この年、Gr.Cでは日産R89C、23号車でJSPCやルマンにて大活躍していた利男選手だが、

1989年について言えば、F3000ではこれといった成績を残せていない。
ヒーローズ+レイナード+DFV+BSであったが、いろいろとマッチングが悪かったのだろうか、
同じCABINカラーの星野選手と併走するようなシーンはほとんどなかった。
また、Gr.Aでも、中子選手と組んでディビジョン3無限シビックに乗ったものの、これもあまりぱっとしていない。

※ヒーローズでは翌年から右京選手(ローラ+DFV)が乗り、
Gr.A ディビジョン3無限シビックでは中子+岡田のコンビが長年強さを誇った。

利男選手は、1990にはGr.Cに加えあのGr.A R32 ディビジョン1でも星野さんと組み、
日産ワークスとして本格的に輝いていく。

F3000では新興のUNIVERSAL RACING TEAMに移籍、車もローラへ。90-91は体制面でもややつらい部分があり、
成績はさほどでないものの、同チームでの92-93にかけての圧倒的強さへとつながっていく。



この1989年F3000開幕戦だが、星野、長谷見、松本らが安定して速い時代であったことが分かる。
(予選ストレートのシーンで、なぜか松本のマシンだけクォオーンという音がするのが不思議)

王座についた小河選手は、ここでは前年度の右京のマシンを使用している。
AS誌面を見て「ex右京車」という言葉の意味が、最初分からなかったのが懐かしい。
派手な体制ではないが、ポンとツボにはまっているのだ。
長い間、トップフォーミュラで車に恵まれていなかった小河選手が、ポンと速い車に乗って、さらっと速い。
こういう感じはRCレースをやっていてもわかる。

一方、右京選手はといえば、ムンクラに移籍、オリジナルマシンで参加するが内外で大苦戦。

この開幕戦、ロス・チーバーは88レイナードで参加しているし、ポイントも取れていない。
チーバーは、最後まで小河と僅差のチャンピオン争いを演じた。
最終戦のアクシデントなどが未だに記憶に残るが、シリーズは開幕から最終戦までで争うもの。
89レイナード投入が遅れたことも、結局は効いているのかもしれない。
開幕戦といったら、とりあえずチーバーがブッチギる、というのがこの後続くのだから意外だ。



この年のF3000といえば、小河やチーバー、ベテラン勢のほかに、
速さが目立ったのが和田選手だろう。
この年で終わったGC(グラチャン)でも相当なものだった。

タイヤはきつい面もあったと思うが、
逆にADVANならではの速さを見せ、ハマったレースではまさにブッチギリ。
日産といえば「星野+利男」「長谷見+オロフソン」の時代が訪れる中、
和田選手は日産ワークスとしてはその次といった位置づけになっていたが、スプリントでは光っていた。



また、地味なところで言えば、バリラ選手も登場している。
ピットでの中嶋さんのヒョコっとした動きなどは、なんだか懐かしい。
このバリラ、予選で星野さんと揉めた件w 以外はさしてF3000の印象がないのだが、
翌年1990年には、ミナルディでF1に参戦、中嶋と同じ舞台に立ち、ポイントも獲得している。
このころのミナルディというのは、中堅というか、十分速いチームであった。
(ザクスピードをはじめ、トンデモF1チームがたっくさん後ろにいたのだ)



1989年のF3000というだけでも、
数分でこれだけ思い出してしまう。やっぱりこのころのレースは面白い。




プロフィール

77OT

Author:77OT
現在は休止中ですが電動RCが趣味。動物問題への関心を高めています。Twitter、Youtubeもあります。ブログはこちらFC2がメインです。

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